小部経典

クッダカパータ

6 ラタナ・スッタ(三宝経)

1. 彼ら、ここに集いあつまった精霊たちは――あるいは、地上にあるものたちも――あるいは、彼ら、空中にあるものたちも――まさしく、一切の精霊たちが、意“こころ”楽しく有れ。しかして、また、〔わたしの〕語るところを、謹んで聞け。

2. それゆえに、まさに、一切の精霊たちよ、こころして聞け。人間たる〔世の〕人々に、慈愛を為せ。彼らは、昼も、夜も、〔あなたたちに〕供物を運ぶ者たちである。それゆえに、まさに、彼らを、怠りなく守れ。

3. あるいは、この〔世において〕、あるいは、あの〔世において〕、何であれ、富としてあるもので――あるいは、諸々の天上における、妙“たえ”なる宝としてあるものも――如来と等しいものは、けっして、存在しない。これもまた、覚者(仏:ブッダ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

4. 〔心が〕定められた方、サキャ〔族〕の牟尼(釈迦牟尼)が到達した、〔まさに〕その、妙なる不死〔の境処〕である、滅尽と離貪――その法(教え)と等しいものは、何であれ、存在しない。これもまた、法(法:ダンマ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

5. 最勝の覚者(ブッダ)が遍く褒め称えた、〔まさに〕その、清らかなる〔境地〕――それを、〔賢者たちは〕「直後なる〔心の〕統一(無間定:時を要さず即座に結果が出る禅定)」と言う。その〔心の〕統一(定:三昧の境地)と等しいものは、〔どこにも〕見い出されない。これもまた、法(教え)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

6. 正しくある者たちに賞賛された、彼ら、八者の人たち(八輩:預流道・預流果・一来道・一来果・不還道・不還果・阿羅漢道・阿羅漢果)――〔すなわち〕これらの四組(四双:預流道と預流果・一来道と一来果・不還道と不還果・阿羅漢道と阿羅漢果)が有るとして――彼ら、善き至達者(ブッダ)の弟子たちは、施与されるべきである。これらの者たちにたいする諸々の施しは、大いなる果となる。これもまた、僧団(僧:サンガ)における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

7. 彼ら、堅固な意“おもい”で〔心が瞑想の対象に〕しっかりと結び付けられ、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて〔心が欲望の対象に〕無欲なる者たち――彼らは、不死〔の境処〕に入って、得るべきものを得た者たちであり、寂滅〔の境地〕を空手“くうしゅ”で得て、受益している者たちである。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

8. インダ(インドラ神)の杭(城門に立てられた標柱)が、地に依拠したものとして存し、四〔方〕の風に不動であるように、その喩えのような者を、〔わたしは〕「正しい人」と説く。彼は、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を的確に見る者である。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

9. 彼ら、深遠なる知慧ある方(ブッダ)によって見事に説示された、〔四つの〕聖なる真理を分明する者たち――たとえ、何であれ、彼らが、多く怠る者たちとして〔世に〕有るとして、彼らは、第八の生存(有)を取らない(最高で七回までの輪廻のうちに解脱する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

10. 彼の、〔あるがままの〕見の成就と、まさしく、共に、まさに、三つの法(性質)が、捨棄されたものと成る。〔すなわち〕身体が有るという見解(有身見:心身について「自己である」「自己のものである」と妄想し執着する実体論的見解)、さらには、疑惑〔の思い〕(疑)、あるいは、また、何であれ、〔世に〕存するもので、〔執着の対象になった〕戒や掟(戒禁)である。

11. しかして、四つの悪所(地獄・畜生・餓鬼・阿修羅)から解脱し、かつまた、六つの極罪を為すこと(母を殺すこと・父を殺すこと・阿羅漢を殺すこと・覚者を傷つけること・僧団を分裂させること・異教の者を師とすること)は有りえない。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

12. たとえ、何であれ、彼が、身体によって、言葉によって、あるいは、また、心によって、悪しき行為(業)を為すとして、彼が、それを隠し立てすることは有りえない。〔涅槃の〕境処を見た者にとって、〔それは〕有りえないことと説かれた。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

13. 〔四つの〕夏〔の月〕の第一の夏の月(春先)に、先端が〔一斉に〕開花した、林の茂みのように、その喩えのような、涅槃に至る優れた法(教え)を、最高の利益のために、〔覚者は、他に先駆けて〕説示した。これもまた、覚者における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

14. 優れた者、優れたものを知る者、優れたものを与える者、優れたものを運び来る者――無上なる方が、優れた法(教え)を説示した。これもまた、覚者における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

15. 古きもの(過去の業)が滅尽し、新たな発生が存在せず、未来の生存にたいし心が離貪した者たち――彼らは、〔再生の〕種子が滅尽した者たち、欲〔の思い〕が成長なき者たち――慧者たちは、この灯明のように、消え行く(涅槃に到達する)。これもまた、僧団における、妙なる宝である。この真理によって、安穏有れ。

16. 彼ら、ここに集いあつまった精霊たちは――あるいは、地上にあるものたちであれ――あるいは、彼ら、空中にあるものたちであれ――〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、覚者(ブッダ)を、礼拝する――安穏有れ。

17. 彼ら、ここに集いあつまった精霊たちは――あるいは、地上にあるものたちであれ――あるいは、彼ら、空中にあるものたちであれ――〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、法(ダンマ)を、礼拝する――安穏有れ。

18. 彼ら、ここに集いあつまった精霊たちは――あるいは、地上にあるものたちであれ――あるいは、彼ら、空中にあるものたちであれ――〔わたしたちは〕天〔の神々〕と人間たちによって供養された如来を、僧団(サンガ)を、礼拝する――安穏有れ。ということで――

〔以上が〕ラタナ・スッタとなる。