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8 テーラガーター

1.60. シーヴァリ長老の詩偈

それを義(目的)として、小屋に入った〔わたしであるが〕、わたしの、それらの〔思慮〕分別は、〔ついに〕実現した。〔わたしは〕明知と解脱〔の境地〕を信受した。〔わたしは〕思量の悪習(随眠)を廃棄した。ということで――

 ……シーヴァリ長老は……。

 〔以上が〕第六の章となる。

 その〔章〕のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「しかして、ゴーディカ、さらには、スバーフ、ヴァッリヤ、ウッティヤ聖賢、アンジャナ・ヴァニヤ長老、二者のクティ・ヴィハーリン、および、ラマニーヤ・クティカ、コーサラという呼び名ある者とシーヴァリ、〔これらの十者の長老たちが有る〕」と。