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8 テーラガーター

10.4. チューラ・パンタカ長老の詩偈

わたしのばあい、〔物事の〕赴く所は、〔常に〕遅きものとして存していた(何をやるにも時間がかかった)。かつて、わたしは、〔人々に〕貶められていた。しかして、兄は、わたしを、〔僧園から〕追い出した。「今や、おまえは、家に行け(還俗せよ)」〔と〕。

〔まさに〕その、わたしは、〔僧園から〕追い出され、僧園の門小屋に存しつつ、失意の者となり、そこに立っていた――〔覚者の〕教えに〔いまだ〕期待ある者として。

そこに、世尊(ブッダ)がやってきた。わたしの頭を撫で、わたしの腕を掴んで、僧園へと導き入れた。

教師(ブッダ)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに、足を拭く〔布〕を与えた。「この〔不浄なる布〕を、清浄なるものとして、〔心に〕確立しなさい――一面に善く確立されたものとして」〔と〕。

彼の言葉を聞いて、わたしは、〔覚者の〕教えに喜びある者として住した。最上の義(目的)を得るために、〔心の〕統一(定:三昧の境地)を実践した。

〔わたしは〕過去(前世)の居住を知る。天眼は清められた。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。

パンタカ(人名)は、千回、自己〔の姿〕を化作“けさ”して(千体の化身を造作した)、美しいアンバ〔樹〕の林に坐した――〔供養の〕時の知らせがあるまで。

そののち、教師は、わたしのために、〔供養の〕時を知らせる使者を送った。〔供養の〕時が知らされたとき、〔わたしは〕宙に〔跳び上がって〕、〔世尊のもとへと〕近しく赴いた。

教師の〔両の〕足を敬拝して、わたしは、一方に坐した。〔一方に〕坐したわたしを知って、しかして、教師は、〔わたしを〕迎え取った。

〔世尊は〕一切世〔界〕にとって祭祀〔の対象〕となる方であり、諸々の捧げものを迎え取る方である。人間たちにとって供養の田畑(福田)となる方は、施物を迎え取った。ということで――

 ……チューラ・パンタカ長老は……。