小部経典

3:ウダーナ

1.10. バーヒヤの経(10)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、樹皮行者のバーヒヤが、スッパーラカの海岸に滞在しています。〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品(常備薬)を得る者として。そこで、まさに、静所に赴き坐禅する樹皮行者のバーヒヤの心に、このような考えが浮かびました。「誰かしら或る者たちが、まさに、世において、あるいは、阿羅漢たちとしてあり、あるいは、阿羅漢道に入定した者たちとしてあるなら、わたしは、彼らのなかの或るひとりなのだろうか」と。

 そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤの過去〔世〕の血縁である天神が、〔彼を〕慈しみ、〔彼の〕義(利益)を欲し、〔自らの〕心をとおして、樹皮行者のバーヒヤの心の考えを了知して、樹皮行者のバーヒヤのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤさん、まさに、あなたは、阿羅漢でもなければ、あるいは、また、阿羅漢道に入定した者でもありません。その〔道〕によって、あなたが、あるいは、阿羅漢として存することになり、あるいは、阿羅漢道に入定した者として〔存することになる〕、その〔実践の〕道もまた、あなたには存在しません」と。

 「では、そうしますと、天〔界〕を含む世〔界〕において、どのような者たちが、あるいは、阿羅漢たちとしてあり、あるいは、阿羅漢の道に入った者たちとしてあるのですか」と。「バーヒヤさん、北の諸地方に、サーヴァッティという名の城市が存在します。そこに、彼が、世尊が、今現在、阿羅漢として、正自覚者として、住しておられます。バーヒヤさん、まさに、彼は、世尊は、まさしく、阿羅漢でもあれば、阿羅漢たるための法(教え)をも説示します」と。

 そこで、まさに、その天神〔の言葉〕に畏怖した樹皮行者のバーヒヤは、まさしく、ただちに、スッパーラカから立ち去りました。一切所において、一夜の滞在ですませ、サーヴァッティはジェータ林の、アナータピンディカ〔長者〕の園地のあるところに、そこへと近づいて行きました。さて、まさに、その時、大勢の比丘たちが、野外で歩行〔の瞑想〕をしています。そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、それらの比丘たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの比丘たちに、こう言いました。「尊き方々よ、いったい、どこに、まさに、今現在、世尊が、阿羅漢として、正自覚者として、住しておられるのですか。わたしどもは、阿羅漢であり、正自覚者である、彼と、世尊と、相見えることを欲する者です」と。「バーヒヤさん、まさに、世尊は、町中へと、〔行乞の〕食のために入りました」と。

 そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、急ぎの様子でジェータ林から出て、サーヴァッティに入って、世尊が、サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んでいるのを見ました。浄信の方にして浄信をおこすべき方を――〔感官の〕機能が寂静となり意“こころ”が寂静となった方を――最上の〔身の〕調御と〔心の〕寂止を獲得した方を――〔自己が〕調御され〔感官の門が〕守られ〔感官の〕機能が制された龍を。見て、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊の〔両の〕足に、頭をもって平伏して、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊よ、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者(善逝)よ、法(教え)を説示してください。長夜にわたり、わたしの利益と安楽のために存するであろう、〔まさに〕その〔法〕として」と。このように言われたとき、世尊は、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤさん、まさに、まだ、〔そのための〕時ではありません。〔わたしたちは〕町中へと、〔行乞の〕食のために入ったのです」と。

 再度また、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、ですが、まさに、このことは、知り難いことなのです。あるいは、世尊の生命にたいする諸々の障害についてのことであれ、あるいは、わたしの生命にたいする諸々の障害についてのことであれ(わたしたちの生命は、明日をも知れないものなのです)。尊き方よ、世尊よ、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者よ、法(教え)を説示してください。長夜にわたり、わたしの利益と安楽のために存するであろう、〔まさに〕その〔法〕として」と。再度また、まさに、世尊は、樹皮行者のバーヒヤに、こう言いました。「バーヒヤさん、まさに、まだ、〔そのための〕時ではありません。〔わたしたちは〕町中へと、〔行乞の〕食のために入ったのです」と。

 三度また、まさに、樹皮行者のバーヒヤは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、ですが、まさに、このことは、知り難いことなのです。あるいは、世尊の生命にたいする諸々の障害についてのことであれ、あるいは、わたしの生命にたいする諸々の障害についてのことであれ。尊き方よ、世尊よ、わたしに、法(教え)を説示してください。善き至達者よ、法(教え)を説示してください。長夜にわたり、わたしの利益と安楽のために存するであろう、〔まさに〕その〔法〕として」と。

 「バーヒヤさん、それでは、ここに、このように、あなたは学ぶべきです。『見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろう。聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろう。思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろう。識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろう』と。バーヒヤさん、まさに、このように、あなたは学ぶべきです。バーヒヤさん、まさに、あなたにとって、見られたものにおいては、見られたもののみが有るであろうことから、聞かれたものにおいては、聞かれたもののみが有るであろうことから、思われたものにおいては、思われたもののみが有るであろうことから、識られたものにおいては、識られたもののみが有るであろうことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、それとともにいないのです。バーヒヤさん、あなたが、それとともにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、そこにいないのです。バーヒヤさん、あなたが、そこにいないことから、バーヒヤさん、それですから、あなたは、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔存在し〕ないのです。これこそは、苦しみの終極“おわり”です」と。

 そこで、まさに、樹皮行者のバーヒヤですが、世尊の、この簡略なる法(教え)の説示によって、まさしく、ただちに、〔何ものをも〕執取せずして、心は、諸々の煩悩から解脱しました。

 そこで、まさに、世尊は、樹皮行者のバーヒヤを、この簡略なる教諭によって教え諭して、立ち去りました。そこで、まさに、世尊が立ち去ったあと、長からずして、樹皮行者のバーヒヤに、若い子牛づれの雌牛がぶつかって、〔その〕生命を奪いました。

 そこで、まさに、世尊は、サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、大勢の比丘たちと共に城市から出て、樹皮行者のバーヒヤが命を終えたのを見ました。見て、比丘たちに語りかけました。「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を収め取りなさい。寝床に載せて運び出して、燃やしてあげなさい。そして、彼のために塔を作りなさい。比丘たちよ、あなたたちと梵行を共にする者が、命を終えたのです」と。

 「尊き方よ、わかりました」と、まさに、それらの比丘たちは、世尊に答えて、樹皮行者のバーヒヤの遺骸を、寝床に載せて運び出して、燃やしてあげて、そして、彼のために塔を作って、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、樹皮行者のバーヒヤの肉体は焼かれました。そして、彼のために塔が作られました。彼には、どのような〔来世の〕境遇(趣)がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。「比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、賢者です。法(教え)を法(教え)のままに実践しました。そして、法(教え)を問題にして、わたしを悩ますことがありませんでした。比丘たちよ、樹皮行者のバーヒヤは、完全なる涅槃に到達したのです」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「しかして、そこは、水と地と火と風が依って立たざるところにして、そこに、星々は輝かず、日は輝かず、そこに、月は輝かず、そこに、闇は見い出されない。

 しかして、〔真の〕婆羅門たる牟尼(沈黙の聖者)が、寂黙〔の知慧〕によって、自己みずから、〔このことを〕知ったとき、しかして、形態(色)から、かつまた、形態なきもの(無色)から、楽苦〔の思い〕から、〔彼は〕解き放たれる」と。

 〔以上が〕第十〔の経〕となる。

 この感興〔の言葉〕もまた、「世尊によって説かれたものである」と、わたしは聞きました。ということで――

 菩提の章が、第一となる。

 その〔章〕のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「しかして、三つの菩提、大仰な者、婆羅門、および、カッサパとともに、アジャ、サンガーマ、結髪者たち、バーヒヤとともに、かくのごとく、それらの十がある」と。