小部経典

3:ウダーナ

2 ムチャリンダの章

2.1. ムチャリンダの経(11)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ウルヴェーラーに住しておられます。ネーランジャラー川の岸辺のムチャリンダ〔樹〕の根元において、最初の正覚者として。さて、まさに、その時、世尊は、七日のあいだ、結跏一つで坐しておられたのです。解脱の安楽の得知者として。

 さて、まさに、その時、巨大な、時ならざる雨雲が現われました。七日のあいだ雨となり、冷たい風の荒れた日々となります。そこで、まさに、龍王のムチャリンダは、自らの居所から出て、世尊の身体を七重の蜷局“とぐろ”で取り巻いて、頭上高くに、巨大な鎌首をもたげて立ちました。「世尊に、寒さが〔触れることが〕あってはならない。世尊に、暑さが〔触れることが〕あってはならない。世尊に、虻や蚊や風や熱や蛇が触れることがあってはならない」と。

 そこで、まさに、世尊は、その七日が過ぎて、その〔心の〕統一から出起しました。そこで、まさに、龍王のムチャリンダは、雷雲が離れ去り、天が晴れたことを知って、世尊の身体から〔七重の〕蜷局をほどいて、自らの姿を取り去って、若者の姿に化作“けさ”して、世尊の前に立ちました。合掌し、世尊を礼拝する者として。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「〔足ることを知り〕満ち足りている者にとって、〔覚者の〕法(教え)を聞いた者にとって、〔あるがままに〕見ている者にとって、遠離〔の境地〕は、安楽である。世において、生き物たる生類たちにたいし、自制の者としてあり、加害〔の思い〕なくあることは、安楽である。

 世において、諸々の欲望〔の対象〕を超え行く者としてあり、貪り〔の思い〕を離れることは、安楽である。およそ、『〔わたしは〕存在する』という思量(我慢:自我意識)を取り除くことは、まさに、これは、最高の安楽である」と。

 〔以上が〕第一〔の経〕となる。