小部経典

3:ウダーナ

2.2. 王の経(12)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティ(舎衛城)に住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地(祇園精舎)において。さて、まさに、その時、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、奉仕堂に集まって坐っている、大勢の比丘たちに、この〔暇つぶしの〕合間の議論が起こりました。「友よ、いったい、まさに、これらの二者の王のうちの誰が、あるいは、より多く富ある者であり、あるいは、より多く財ある者であり、あるいは、より多く蔵ある者であり、あるいは、より多く領土ある者であり、あるいは、より多く車両ある者であり、あるいは、より多く力ある者であり、あるいは、より多く権力ある者であり、あるいは、より多く威力ある者であるのか――あるいは、〔それは〕マガダ〔国〕のセーニヤ・ビンビサーラ王であるのか、あるいは、〔それは〕コーサラ〔国〕のパセーナディ王であるのか」と。それでも、それらの比丘たちの、この〔暇つぶしの〕合間の議論は終わることがなかったのです。

 そこで、まさに、世尊は、夕刻時に、坐禅から出起され、奉仕堂のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐られました。坐られて、まさに、世尊は、比丘たちに語りかけました。「比丘たちよ、ここにおいて、今現在、いったい、どのような議論のために、集まって坐っているのですか。そして、また、終わることがなかった、あなたたちの〔暇つぶしの〕合間の議論とは、どのようなものですか」と。

 「尊き方よ、ここに、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、奉仕堂に集まって坐っている、わたしたちに、この〔暇つぶしの〕合間の議論が起こりました。『友よ、いったい、まさに、これらの二者の王のうちの誰が、あるいは、より多く富ある者であり、あるいは、より多く財ある者であり、あるいは、より多く蔵ある者であり、あるいは、より多く領土ある者であり、あるいは、より多く車両ある者であり、あるいは、より多く力ある者であり、あるいは、より多く権力ある者であり、あるいは、より多く威力ある者であるのか――あるいは、〔それは〕マガダ〔国〕のセーニヤ・ビンビサーラ王であるのか、あるいは、〔それは〕コーサラ〔国〕のパセーナディ王であるのか』と。尊き方よ、まさに、これが、終わることがなかった、わたしたちの〔暇つぶしの〕合間の議論です。そのとき、世尊がおいでになったのです」と。

 「比丘たちよ、良家の子息たちとして、信によって家から家なきへと出家した、あなたたちにとって、まさに、このことは、ふさわしいことではありません。すなわち、あなたたちが、このような形の議論を議論することです。比丘たちよ、あなたたちが集まったときには、二つの為すべきことがあります――あるいは、法(教え)の議論であるか、あるいは、聖なる沈黙の状態であるか、です」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「しかして、それが、世における欲望の安楽であるとして、さらには、それが、天におけるこの安楽であるとして、これらは、渇愛の滅尽という安楽の、十六分の一にも値しない」と。

 〔以上が〕第二〔の経〕となる。