小部経典

3:ウダーナ

4.5. 象の経(35)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、コーサンビーに住しておられます。ゴーシタの園地において。さて、まさに、その時、世尊は、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住しておられます。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住しておられます。そこで、まさに、世尊は、こう思いました。「わたしは、まさに、今現在、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住している。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住している。それなら、さあ、わたしは、独りになり、〔人々の〕群れから遠く離れ、〔混乱なく〕住することにしようか」と。

 そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、コーサンビーに〔行乞の〕食のために入りました。コーサンビーを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻ると、自ら、臥坐所をたたんで、鉢と衣料を取って、〔自己の〕奉仕者に語りかけずして、比丘の僧団を顧みずして、独り、伴侶なき者となり、パーリレイヤカ〔村〕のあるところに、そこへと遊行〔の旅〕に出ました。順次に遊行〔の旅〕を歩みながら、パーリレイヤカ〔村〕のあるところに、そこへと至り着きました。そこで、まさに、世尊は、パーリレイヤカに住しておられます。林の茂みに守られた、幸いなるサーラ〔樹〕の根元において。

 まさに、或るどこかの巨象もまた、雄象たちや雌象たちや子象たちや幼象たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住しています。まさしく、〔彼は〕先端が切れた諸々の草を喰いもすれば、彼が折り曲げ折り曲げ破断した枝を、〔彼らは〕喰いもします。〔彼は〕濁った諸々の飲み水を飲みもすれば、彼が〔水に〕入って〔そこから〕上がると、雌象たちは身体を擦り寄せながら行きもします。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住しています。そこで、まさに、その巨象は、こう思いました。「わたしは、まさに、今現在、雄象たちや雌象たちや子象たちや幼象たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住している。まさしく、〔わたしは〕先端が切れた諸々の草を喰いもすれば、わたしが折り曲げ折り曲げ破断した枝を、〔彼らは〕喰いもする。〔わたしは〕濁った諸々の飲み水を飲みもすれば、わたしが〔水に〕入って〔そこから〕上がると、雌象たちは身体を擦り寄せながら行きもする。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住している。それなら、さあ、わたしは、独りになり、〔象たちの〕群れから遠く離れ、〔混乱なく〕住することにしようか」と。

 そこで、まさに、その巨象は、群れから去って行って、パーリレイヤカ〔村〕の、林の茂みに守られた、幸いなるサーラ〔樹〕の根元のところに、〔すなわち〕世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。そこで、まさに、その巨象は、その地に世尊が住しておられるなら、その地を芝生と為し、さらには、世尊のために、鼻でもって飲み水と洗い水を調達します。

 そこで、まさに、静所に赴き坐禅する世尊の心に、このような考えが浮かびました。「わたしは、まさに、かつて、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住していた。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住していた。その〔わたし〕が、今現在、比丘たちや比丘尼たちや在俗信者たちや女性在俗信者たちや王たちや王の大臣たちや異教の者たちや異教の者の弟子たちによって〔生活を〕掻き乱されず、〔混乱なく〕住している。〔生活を〕掻き乱されず、安楽に、平穏で、〔混乱なく〕住している」と。

 まさに、その巨象の心にもまた、このような考えが浮かびました。「わたしは、まさに、かつて、雄象たちや雌象たちや子象たちや幼象たちによって〔生活を〕掻き乱され、〔混乱のうちに〕住していた。まさしく、〔わたしは〕先端が切れた諸々の草を喰いもすれば、わたしが折り曲げ折り曲げ破断した枝を、〔彼らは〕喰いもする。〔わたしは〕濁った諸々の飲み水を飲みもすれば、わたしが〔水に〕入って〔そこから〕上がると、雌象たちは身体を擦り寄せながら行きもした。〔生活を〕掻き乱され、苦痛で、平穏ではなく、〔混乱のうちに〕住していた。その〔わたし〕が、今現在、雄象たちや雌象たちや子象たちや幼象たちによって〔生活を〕掻き乱されず、〔混乱なく〕住している。まさしく、〔わたしは〕先端が切れていない諸々の草を喰いもすれば、わたしが折り曲げ折り曲げ破断した枝を、〔彼らが〕喰うこともない。〔わたしは〕濁っていない諸々の飲み水を飲みもすれば、わたしが〔水に〕入って〔そこから〕上がると、雌象たちが身体を擦り寄せながら行くこともない。〔生活を〕掻き乱されず、安楽に、平穏で、〔混乱なく〕住している」と。

 そこで、まさに、世尊は、まずは、自己の遠離を知って、さらには、〔自らの〕心をとおして、その巨象の心の考えを了知して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「轅“ながえ”(車に着ける二本の長い棒)のような牙があり、手〔のような鼻〕がある象“ナーガ”の、この心は、独りある者が喜ぶところの意である、〔まさに〕その、龍“ナーガ”(ブッダ)の心と、〔互いが互いを〕行知する」と。

 〔以上が〕第五〔の経〕となる。