小部経典

3:ウダーナ

4.8. スンダリーの経(38)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、世尊は、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品(常備薬)を得る者として、〔世に〕有ります。比丘の僧団もまた、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得る者として、〔世に〕有ります。いっぽう、他の異教の遍歴遊行者たちは、〔人々から〕尊敬されず、尊重されず、思慕されず、供養されず、敬恭されず、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得ない者たちとして、〔世に〕有ります。

 そこで、まさに、彼ら、他の異教の遍歴遊行者たちは、世尊への〔人々の〕尊敬を耐えられずに、そして、比丘の僧団への〔人々の尊敬を耐えられずに〕、女性遍歴遊行者のスンダリーのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、女性遍歴遊行者のスンダリーに、こう言いました。「妹よ、あなたはできますか。親族たちの義(利益)を為すことを」と。「尊貴なる方々よ、わたしは、何を為すのですか。どうして、わたしができないというのでしょう。〔親族たちの義を〕為すことを。生命でさえも、わたしは捨て放ったのです。親族たちの義(利益)のために」と。

 「妹よ、それでは、まさに、〔足繁く〕何度となくジェータ林に行きなさい」と。「尊い方々よ、わかりました」と、まさに、女性遍歴遊行者のスンダリーは、彼ら、他の異教の遍歴遊行者たちに答えて、〔足繁く〕何度となくジェータ林に行きました。

 彼ら、他の異教の遍歴遊行者たちは、「まさに、女性遍歴遊行者のスンダリーは、何度となくジェータ林に行っているところを、多くの人にしっかりと見られた」と了知したとき、そこで、彼女の生命を奪って、まさしく、そこに、ジェータ林の堀の穴に捨て置いて、コーサラ〔国〕のパセーナディ王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、コーサラ〔国〕のパセーナディ王に、こう言いました。「大王よ、〔まさに〕その、女性遍歴遊行者のスンダリーなる者がいるのですが、わたしたちは、彼女を見ません(行方不明になりました)」と。「では、どこにいると、あなたたちは疑うのだ」と。「大王よ、ジェータ林です」と。「それでは、まさに、ジェータ林を探しなさい」と。

 そこで、まさに、彼ら、他の異教の遍歴遊行者たちは、ジェータ林を探して、捨て置かれた〔遺骸〕のままに堀の穴から引き上げて、寝床に載せて、サーヴァッティに運び入れて、道から道へと十字路から十字路へと近づいて行って、人間たちを嫌がらせました。

 「尊貴なる方々よ、見てください。釈迦〔族〕の子の沙門たちの行為を。これらの釈迦〔族〕の子の沙門たちは、恥知らずの者たちで、劣戒の者たちで、悪しき法(性質)の者たちで、虚偽を説く者たちで、梵行(禁欲清浄行)なき者たちです。まさに、なんと、これらの者たちは、〔自らを〕法(真理)の行ないの者たちであり、正しい行ないの者たちであり、梵行ある者たちであり、真理を説く者たちであり、戒ある者たちであり、善なる法(性質)の者たちである、と公言するのです。これらの者たちに、沙門の資質は存在しません。これらの者たちには、婆羅門の資質は存在しません。これらの者たちの、沙門の資質は滅んだのです。これらの者たちの、婆羅門の資質は滅んだのです。どうして、これらの者たちに、沙門の資質があるというのでしょう。どうして、これらの者たちに、婆羅門の資質があるというのでしょう。これらの者たちは、沙門の資質から離れ去った者たちです。これらの者たちは、婆羅門の資質から離れ去った者たちです。まさに、なんと、どのようにして、人が、人の為すべきことを為して、〔なおかつ〕婦女の生命を奪うというのでしょう」と。

 さて、まさに、その時、サーヴァッティの人間たちは、比丘たちを見つけては、諸々の不当で粗暴な言葉でもって、罵倒し、誹謗し、悩ませ、困らせます。

 「これらの釈迦〔族〕の子の沙門たちは、恥知らずの者たちで、劣戒の者たちで、悪しき法(性質)の者たちで、虚偽を説く者たちで、梵行なき者たちです。まさに、なんと、これらの者たちは、〔自らを〕法(真理)の行ないの者たちであり、正しい行ないの者たちであり、梵行ある者たちであり、真理を説く者たちであり、戒ある者たちであり、善なる法(性質)の者たちである、と公言するのです。これらの者たちに、沙門の資質は存在しません。これらの者たちには、婆羅門の資質は存在しません。これらの者たちの、沙門の資質は滅んだのです。これらの者たちの、婆羅門の資質は滅んだのです。どうして、これらの者たちに、沙門の資質があるというのでしょう。どうして、これらの者たちに、婆羅門の資質があるというのでしょう。これらの者たちは、沙門の資質から離れ去った者たちです。これらの者たちは、婆羅門の資質から離れ去った者たちです。まさに、なんと、どのようにして、人が、人の為すべきことを為して、〔なおかつ〕婦女の生命を奪うというのでしょう」と。

 そこで、まさに、大勢の比丘たちは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティに〔行乞の〕食のために入りました。サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、今現在、サーヴァッティの人間たちは、比丘たちを見つけては、諸々の不当で粗暴な言葉でもって、罵倒し、誹謗し、悩ませ、困らせます。『これらの釈迦〔族〕の子の沙門たちは、恥知らずの者たちで、劣戒の者たちで、悪しき法(性質)の者たちで、虚偽を説く者たちで、梵行なき者たちです。まさに、なんと、これらの者たちは、〔自らを〕法(真理)の行ないの者たちであり、正しい行ないの者たちであり、梵行ある者たちであり、真理を説く者たちであり、戒ある者たちであり、善なる法(性質)の者たちである、と公言するのです。これらの者たちに、沙門の資質は存在しません。これらの者たちには、婆羅門の資質は存在しません。これらの者たちの、沙門の資質は滅んだのです。これらの者たちの、婆羅門の資質は滅んだのです。どうして、これらの者たちに、沙門の資質があるというのでしょう。どうして、これらの者たちに、婆羅門の資質があるというのでしょう。これらの者たちは、沙門の資質から離れ去った者たちです。これらの者たちは、婆羅門の資質から離れ去った者たちです。まさに、なんと、どのようにして、人が、人の為すべきことを為して、〔なおかつ〕婦女の生命を奪うというのでしょう』」と。

 「比丘たちよ、その評判は、長く有ることはないでしょう。七日だけは有るでしょうが。七日が過ぎれば、消えてしまうでしょう。比丘たちよ、それでは、まさに、それらの人間たちが、比丘たちを見つけては、諸々の不当で粗暴な言葉でもって、罵倒し、誹謗し、悩ませ、困らせるなら、あなたたちは、彼らを、この詩偈でもって叱責しなさい。

 『事実ならざることを説く者は、地獄へと近づき行く。あるいは、また、彼が、為しておきながら、なおかつ、「〔わたしは〕為してない」〔と〕言うなら、〔彼もまた、地獄へと近づき行く〕。彼らは、死してのち、両者ともどもに等しきものと成る――下劣な行為の人間たちとして、他所(来世)において』」と。

 そこで、まさに、それらの比丘たちは、世尊の現前で、この詩偈を完全に学び取って、それらの人間たちが、比丘たちを見つけては、諸々の不当で粗暴な言葉でもって、罵倒し、誹謗し、悩ませ、困らせるなら、彼らを、この詩偈でもって叱責します。

 「事実ならざることを説く者は、地獄へと近づき行く。あるいは、また、彼が、為しておきながら、なおかつ、『〔わたしは〕為してない』〔と〕言うなら、〔彼もまた、地獄へと近づき行く〕。彼らは、死してのち、両者ともどもに等しきものと成る――下劣な行為の人間たちとして、他所(来世)において」と。

 人間たちは、こう思いました。「これらの釈迦〔族〕の子の沙門たちが為したのではない。これらの者たちの為したことではない。これらの釈迦〔族〕の子の沙門たちは誓っているのだ」と。まさしく、その評判は、長く有りはしませんでした。七日だけは有りましたが。七日が過ぎて、消えてしまいました。

 そこで、まさに、大勢の比丘たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。尊き方よ、また、これほどまでに、見事に語られたのは。〔すなわち〕世尊によって、『比丘たちよ、その評判は、長く有ることはないでしょう。七日だけは有るでしょうが。七日が過ぎれば、消えてしまうでしょう』と。尊き方よ、消えてしまったのです。その評判が」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「自制なき人たちは、言葉〔の矢〕で〔人を〕刺す――戦場に赴いた象を、諸々の矢で〔刺す〕ように。〔彼らによって〕発せられた粗暴の言葉を聞いても、比丘は、怒りなき心で耐え忍ぶもの」と。

 〔以上が〕第八〔の経〕となる。