小部経典

3:ウダーナ

4.9. ウパセーナの経(39)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ラージャガハに住しておられます。ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパにおいて。そこで、まさに、静所に赴き坐禅するヴァンガンタの子である尊者ウパセーナの心に、このような考えが浮かびました。「まさに、わたしには、諸々の利得がある。まさに、わたしには、善く得られたものがある。しかも、わたしの教師は、世尊であり、阿羅漢であり、正自覚者である。しかも、〔わたしは〕見事に告げ知らされた法(教え)と律において家から家なきへと出家した者として〔世に〕存している。しかも、わたしと梵行を共にする者たちは、戒ある者たちであり、善なる法(性質)の者たちである。しかも、〔わたしは〕諸戒における円満成就を為す者として〔世に〕存している。しかも、〔わたしは、心が〕善く定められた一境心の者として〔世に〕存している。しかも、〔わたしは〕阿羅漢たる煩悩の滅尽者として〔世に〕存している。しかも、〔わたしは〕大いなる神通ある者にして大いなる威力ある者として〔世に〕存している。わたしにとって、生命(人生)は、幸いなるものであり、死は、幸いなるものである」と。

 そこで、まさに、世尊は、〔自らの〕心をとおして、ヴァンガンタの子である尊者ウパセーナの心の考えを了知して、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「〔彼の〕生き方が、彼を苦しめないなら、死という終極において、〔彼は〕憂い悲しまない。彼は、まさに、〔涅槃の〕境処を見た慧者であり、憂いの中にあっても憂い悲しまない。

 〔迷いの〕生存にたいする渇愛〔の思い〕を断ち切った者にとって、寂静心の比丘にとって、生の輪廻は滅尽した。彼に、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない」と。

 〔以上が〕第九〔の経〕となる。