小部経典

3:ウダーナ

6 生まれながらの盲者の章

6.1. 寿命を形成する働きを捨棄することの経(51)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、ヴェーサーリーに住しておられます。マハー林の二階建て堂舎(重閣講堂)において。そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、ヴェーサーリーに〔行乞の〕食のために入りました。ヴェーサーリーを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、尊者アーナンダに語りかけました。「アーナンダよ、坐具を収め取りなさい。〔わたしたちは〕昼の休息のために、チャーパーラ塔廟のあるところに、そこへと近づいて行くのです」と。

 「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者アーナンダは、世尊に答えて、坐具を収め取って、背後から背後へと、世尊に付き従いました。そこで、まさに、世尊は、チャーパーラ塔廟のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐られました。坐られて、まさに、世尊は、尊者アーナンダに語りかけました。

 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは喜ばしいところです。ウデーナ塔廟は喜ばしいところです。ゴータマカ塔廟は喜ばしいところです。サッタンバ塔廟は喜ばしいところです。バフプッタ塔廟は喜ばしいところです。サーランダダ塔廟は喜ばしいところです。チャーパーラ塔廟は喜ばしいところです。アーナンダよ、誰であれ、彼の、四つの神通の足場(四神足:意欲・心・精進・考察)が、修行され、多く為され、乗物(手段)として作り為され、地所(基盤)として作り為され、奮起され、蓄積され、善く正しく勉励されたなら、彼は、望んでいるなら、あるいは、命数のあいだ、〔世に〕止“とど”まることができます――あるいは、命数と残余のあいだ、〔世に止まることができます〕。アーナンダよ、まさに、如来の、四つの神通の足場は、修行され、多く為され、乗物として作り為され、地所として作り為され、奮起され、蓄積され、善く正しく勉励されました。アーナンダよ、如来は、望んでいるなら、あるいは、命数のあいだ、〔世に〕止まることができます――あるいは、命数と残余のあいだ、〔世に止まることができます〕」と。

 たとえ、このように、まさに、尊者アーナンダは、世尊によって、大まかな示相が為されながらも、大まかな暗示が為されながらも、〔それを〕理解することができませんでした。世尊に乞い求めることをしませんでした。〔すなわち〕「尊き方よ、世尊として、命数のあいだ、〔世に〕止まってください。善き至達者(善逝)として、命数のあいだ、〔世に〕止まってください。多くの人の利益のために、多くの人の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみという義(目的)のために、天〔の神々〕たちや人間たちの、利益のために、安楽のために」と。まるで、それは、悪魔によって、心が完全に包囲されていたかのように。再度また……略……三度また、まさに、世尊は、尊者アーナンダに語りかけました。

 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは喜ばしいところです。ウデーナ塔廟は喜ばしいところです。ゴータマカ塔廟は喜ばしいところです。サッタンバ塔廟は喜ばしいところです。バフプッタ塔廟は喜ばしいところです。サーランダダ塔廟は喜ばしいところです。チャーパーラ塔廟は喜ばしいところです。アーナンダよ、誰であれ、彼の、四つの神通の足場が、修行され、多く為され、乗物として作り為され、地所として作り為され、奮起され、蓄積され、善く正しく勉励されたなら、彼は、望んでいるなら、あるいは、命数のあいだ、〔世に〕止まることができます――あるいは、命数と残余のあいだ、〔世に止まることができます〕。アーナンダよ、まさに、如来の、四つの神通の足場は、修行され、多く為され、乗物として作り為され、地所として作り為され、奮起され、蓄積され、善く正しく勉励されました。アーナンダよ、如来は、望んでいるなら、あるいは、命数のあいだ、〔世に〕止まることができます――あるいは、命数と残余のあいだ、〔世に止まることができます〕」と。

 たとえ、このように、まさに、尊者アーナンダは、世尊によって、大まかな示相“ほのめかし”が為されながらも、大まかな暗示が為されながらも、〔それを〕理解することができませんでした。世尊に乞い求めることをしませんでした。〔すなわち〕「尊き方よ、世尊として、命数のあいだ、〔世に〕止まってください。善き至達者として、命数のあいだ、〔世に〕止まってください。多くの人の利益のために、多くの人の安楽のために、世〔の人々〕への慈しみという義(目的)のために、天〔の神々〕たちや人間たちの、利益のために、安楽のために」と。まるで、それは、悪魔によって、心が完全に包囲されていたかのように。

 そこで、まさに、世尊は、尊者アーナンダに語りかけました。「アーナンダよ、行きなさい。今が、そのための時と、あなたが思うのなら〔そうしなさい〕」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者アーナンダは、世尊に答えて、坐所から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、遠く離れていないところの、或るどこかの木の根元に坐りました。

 そこで、まさに、悪魔パーピマントは、尊者アーナンダが立ち去ったあと、長からずして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、一方に立ちました。一方に立った、まさに、悪魔パーピマントは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です。尊き方よ、さてまた、まさに、この言葉は、世尊によって語られたのです。〔すなわち〕『パーピマントよ、わたしは、それまでは、完全なる涅槃に到達することはないでしょう。〔すなわち〕わたしの弟子である比丘たちが、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(解脱に導く教え)を説示する〔という、そのような〕ことがないかぎりは』と。尊き方よ、さてまた、今現在、まさに、世尊の弟子である比丘たちは、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(教え)を説示します。尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です。

 尊き方よ、さてまた、まさに、この言葉は、世尊によって語られたのです。〔すなわち〕『パーピマントよ、わたしは、それまでは、完全なる涅槃に到達することはないでしょう。〔すなわち〕わたしの弟子である比丘尼たちが、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(解脱に導く教え)を説示する〔という、そのような〕ことがないかぎりは』と。尊き方よ、さてまた、今現在、まさに、世尊の弟子である比丘尼たちは、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(教え)を説示します。尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です。

 尊き方よ、さてまた、まさに、この言葉は、世尊によって語られたのです。〔すなわち〕『パーピマントよ、わたしは、それまでは、完全なる涅槃に到達することはないでしょう。〔すなわち〕わたしの弟子である在俗信者たちが、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(解脱に導く教え)を説示する〔という、そのような〕ことがないかぎりは』と。尊き方よ、さてまた、今現在、まさに、世尊の弟子である在俗信者たちは、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(教え)を説示します。尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です。

 尊き方よ、さてまた、まさに、この言葉は、世尊によって語られたのです。〔すなわち〕『パーピマントよ、わたしは、それまでは、完全なる涅槃に到達することはないでしょう。〔すなわち〕わたしの弟子である女性在俗信者たちが、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(解脱に導く教え)を説示する〔という、そのような〕ことがないかぎりは』と。尊き方よ、さてまた、今現在、まさに、世尊の弟子である女性在俗信者たちは、明敏で、〔正しく〕教え導かれ、〔道に〕熟達し、多聞の者たちとなり、法(教え)を保つ者たちとなり、法(教え)を法(教え)のままに実践する者たちとなり、正しく実践する者たちとなり、法(教え)のままに行じおこなう者たちとなり、自らの師匠の〔法〕を〔正しく〕収め取って、〔他に〕告げ知らせ、説示し、知らしめ、確立し、開顕し、区分し、明瞭と為し、法(道理)を用いることで、生起した異論を、善く制御されたものへと制御して、〔教示の〕神変を有する法(教え)を説示します。尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です。

 尊き方よ、さてまた、まさに、この言葉は、世尊によって語られたのです。〔すなわち〕『パーピマントよ、わたしは、それまでは、完全なる涅槃に到達することはないでしょう。〔すなわち〕わたしの、この梵行(禁欲清浄行)が、天〔の神々〕たちや人間たちによって見事に明示されるまでに、まさしく、実現もすれば、繁栄もし、拡張し、多く知られ、広がったものとなる〔という、そのような〕ことがないかぎりは』と。尊き方よ、さてまた、今現在、まさに、世尊の梵行は、天〔の神々〕たちや人間たちによって見事に明示されるまでに、まさしく、実現もすれば、繁栄もし、拡張し、多くの者に知られ、広がっています。尊き方よ、今や、世尊として、完全なる涅槃に到達してください。善き至達者として、完全なる涅槃に到達してください。尊き方よ、今や、世尊にとって、完全なる涅槃に到達する時です」と。

 このように言われたとき、世尊は、悪魔パーピマントに、こう言いました。「パーピマントよ、あなたは、思い入れの少ない者となります(心配はいりません)。長からずして、如来には、完全なる涅槃が有るでしょう。これから、三月が過ぎれば、如来は、完全なる涅槃に到達するでしょう」と。

 そこで、まさに、世尊は、チャーパーラ塔廟において、気づきと正知の者となり、寿命を形成する働き(行:意志・意欲)を捨てられました。そして、世尊が、寿命を形成する働きを捨てられたとき、身の毛のよだつ恐ろしい大地震が有り、さらには、諸々の天の雷鼓が炸裂しました(雷鳴が轟いた)。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「牟尼は、比べられるもの、および、無比なるものを、〔自己から〕発生するもの(自己に都合よく想い描かれた世界のあり方)を、〔迷いの〕生存を形成する働きを、捨て去った。内に喜びあり、〔心が〕定められた者は、鎧を〔壊し去る〕ように、自己から発生するものを壊し去った」と。

 〔以上が〕第一〔の経〕となる。