小部経典

3:ウダーナ

6.10. 生起するの経(60)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。そこで、まさに、尊者アーナンダは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、さてまた、何はともあれ、阿羅漢にして正自覚者たる如来たちが、世に生起しないかぎり、それまでは、他の異教の遍歴遊行者たちが、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品(常備薬)を得る者として、〔世に〕有ります。尊き方よ、しかしながら、まさに、阿羅漢にして正自覚者たる如来たちが、世に生起することから、そこにおいて、他の異教の遍歴遊行者たちは、〔人々から〕尊敬されず、尊重されず、思慕されず、供養されず、敬恭されず、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得ない者たちとして、〔世に〕有ります。尊き方よ、今や、世尊こそは、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得る者として、〔世に〕有ります。そして、比丘の僧団も」と。

 「アーナンダよ、これは、このようなものなのです。アーナンダよ、さてまた、何はともあれ、阿羅漢にして正自覚者たる如来たちが、世に生起しないかぎり、それまでは、他の異教の遍歴遊行者たちが、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得る者として、〔世に〕有ります。アーナンダよ、しかしながら、まさに、阿羅漢にして正自覚者たる如来たちが、世に生起することから、そこにおいて、他の異教の遍歴遊行者たちは、〔人々から〕尊敬されず、尊重されず、思慕されず、供養されず、敬恭されず、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得ない者たちとして、〔世に〕有ります。今や、如来こそは、〔人々から〕尊敬され、尊重され、思慕され、供養され、敬恭され、諸々の衣料や〔行乞の〕施食や臥坐所や病のための日用品となる薬の必需品を得る者として、〔世に〕有ります。そして、比丘の僧団も」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「光の作り手(太陽)が昇らないかぎり、それまでは、その虫(蛍)は光り輝くが、太陽が昇ったとき、その〔虫〕は、光を失った者と成り、しかして、また、光り輝くこともない。

 〔悪しき〕説ある〔異教〕の者たちの光り輝きも、まさしく、このようなもの。正自覚者たちが世に生起しないかぎり、〔悪しき〕説ある者たちは清まらず、しかして、また、弟子たちも〔清まら〕ない。悪しき見解の者たちは、苦しみから解き放たれない」と。

 〔以上が〕第十〔の経〕となる。

 生まれながらの盲者の章が、第六となる。

 その〔章〕のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「寿命と結髪者と注視、三つの異教の者、スブーティ、遊女、第九に走る、および、生起する、それらの十がある」と。