小部経典

3:ウダーナ

6.4. 第一の種々なる異教の者たちの経(54)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる忍耐(信受)があり、種々なる嗜好(意欲)があり、種々なる見解を依所とする、依存ある者たちとして。

 (1)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「世〔界〕は、常恒である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (2)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「世〔界〕は、常恒ならざるものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (3)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「世〔界〕は、終極がある。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (4)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「世〔界〕は、終極がない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (5)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「そのものとして生命があり、そのものとして肉体がある(生命と肉体は同じものである)。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (6)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「他のものとして生命があり、他のものとして肉体がある(生命と肉体は別のものである)。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (7)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「如来は、死後に有る。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (8)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「如来は、死後に有ることがない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (9)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「如来は、死後に、有ることもあれば、有ることがないこともある。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (10)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「如来は、死後に、有ることもなければ、有ることがないこともない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 彼らは、口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。「このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない」「このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である」と。

 そこで、まさに、大勢の比丘たちは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティに〔行乞の〕食のために入りました。サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、ここに、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる忍耐があり、種々なる嗜好があり、種々なる見解を依所とする、依存ある者たちとして。

 或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕『世〔界〕は、常恒である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である』と……略……。彼らは、口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

 「比丘たちよ、他の異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼“まなこ”なき者たちです。義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』と。

 比丘たちよ、過去の事ですが、まさしく、このサーヴァッティに、或るひとりの王が、〔世に〕有りました。比丘たちよ、そこで、まさに、その王は、或るひとりの家来に語りかけました。『さて、家来よ、さあ、おまえは、サーヴァッティにいるかぎりの生まれながらの盲者たちであるが、彼らを全て、一ヶ所に集めよ』と。比丘たちよ、『陛下よ、わかりました』と、まさに、その家来は、その王に答えて、サーヴァッティにいるかぎりの生まれながらの盲者たちですが、彼らを全て、〔一ケ所に〕収容して、その王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その王に、こう言いました。『陛下よ、まさに、彼らが集められました。サーヴァッティにいるかぎりの生まれながらの盲者たちです』と。『それでは、まさに、申し付ける。生まれながらの盲者たちに、象を見せよ(象とはどのようなものか、理解させよ)』と。比丘たちよ、『陛下よ、わかりました』と、まさに、その家来は、その王に答えて、生まれながらの盲者たちに、象を見せました。 

 一部の生まれながらの盲者たちには、象の頭を見せました(手でさわらせた)。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の耳を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の牙を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の鼻を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の身体を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の足を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の腿を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の尾を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。一部の生まれながらの盲者たちには、象の尾の先端を見せました。『生まれながらの盲者たちよ、このようなものが、象である』と。

 比丘たちよ、そこで、まさに、その家来は、生まれながらの盲者たちに象を見せて、その王のいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、その王に、こう言いました。『陛下よ、まさに、それらの生まれながらの盲者たちは、象を見ました。今が、そのための時と、〔陛下が〕お思いになるのなら〔思いのままに〕』と。

 比丘たちよ、そこで、まさに、その王は、それらの生まれながらの盲者たちのいるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、それらの生まれながらの盲者たちに、こう言いました。『生まれながらの盲者たちよ、おまえたちは、象を見たのか』と。『陛下よ、そのとおりです。わたしたちは、象を見ました』と。『生まれながらの盲者たちよ、どのようなものが、象であるのか、説いてみよ』と。

 比丘たちよ、象の頭を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、瓶“かめ”のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の耳を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、箕“み”のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の牙を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、杭のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の鼻を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、鋤“すき”のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の身体を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、蔵のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の足を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、柱のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の腿を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、臼のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の尾を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、杵のようなものです』と。

 比丘たちよ、象の尾の先端を見た、生まれながらの盲者たちですが、彼らは、このように言いました。『陛下よ、このようなものが、象です。それは、たとえば、また、箒“ほうき”のようなものです』と。

 彼らは、『このようなものが、象であり、このようなものは、象ではない』『このようなものは、象ではなく、このようなものが、象である』と、互いに他を、諸々の拳で殴り合いました。比丘たちよ、そして、いっぽう、それによって、その王は、わが意を得た者と成りました。

 比丘たちよ、まさしく、このように、まさに、他の異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼なき者たちです。義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「或る沙門や婆羅門たちは、まさに、これら〔の見解〕に執着する。一部分〔だけ〕を見る人たちは、その〔一部分〕に執持して論争する」と。

 〔以上が〕第四〔の経〕となる。