小部経典

3:ウダーナ

6.5. 第二の種々なる異教の者たちの経(55)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる忍耐(信受)があり、種々なる嗜好(意欲)があり、種々なる見解を依所とする、依存ある者たちとして。

 (1)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、常恒である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (2)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、常恒ならざるものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (3)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、常恒でもあれば、常恒ならざるものでもある。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (4)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、常恒でもなければ、常恒ならざるものでもない。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (5)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、自作されたものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (6)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、他作されたものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (7)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、自作されたものでもあれば、他作されたものでもある。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (8)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「自己も、世〔界〕も、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (9)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、常恒である。自己も、世〔界〕も、〔常恒である〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (10)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、常恒ならざるものである。自己も、世〔界〕も、〔常恒ならざるものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (11)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、常恒でもあれば、常恒ならざるものでもある。自己も、世〔界〕も、〔常恒でもあれば、常恒ならざるものでもある〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (12)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、常恒でもなければ、常恒ならざるものでもない。自己も、世〔界〕も、〔常恒でもなければ、常恒ならざるものでもない〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (13)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、自作されたものである。自己も、世〔界〕も、〔自作されたものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (14)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、他作されたものである。自己も、世〔界〕も、〔他作されたものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (15)或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、自作されたものでもあれば、他作されたものでもある。自己も、世〔界〕も、〔自作されたものでもあれば、他作されたものでもある〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 (16)また、或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕「楽と苦は、自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである。自己も、世〔界〕も、〔自作のものではなく、他作のものではなく、偶発生起したものである〕。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である」と。

 彼らは、口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。「このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない」「このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である」と。

 そこで、まさに、大勢の比丘たちは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、サーヴァッティに〔行乞の〕食のために入りました。サーヴァッティを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。

 「尊き方よ、ここに、大勢の、種々なる異教の沙門や婆羅門や遍歴遊行者たちが、サーヴァッティに滞在しています。種々なる見解があり、種々なる忍耐があり、種々なる嗜好があり、種々なる見解を依所とする、依存ある者たちとして。

 或る沙門や婆羅門たちが存在します。〔彼らは〕このように説く者たちであり、このような見解ある者たちです。〔すなわち〕『自己も、世〔界〕も、常恒である。これこそが、真理であり、他は、無駄な〔思考〕である』と……略……。彼らは、口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

 「比丘たちよ、他の異教の遍歴遊行者たちは、盲者たちであり、眼なき者たちです。義(道理)を知らず、義(道理)ならざることを知らず、法(真理)を知らず、法(真理)ならざることを知りません。彼らは、義(道理)を知らずにいる者たちであり、義(道理)ならざることを知らずにいる者たちであり、法(真理)を知らずにいる者たちであり、法(真理)ならざることを知らずにいる者たちです。口論を生じ、紛争を生じ、論争を起こし、互いに他を、諸々の口の刃で突きながら、住しています。『このようなものが、法(真理)であり、このようなものは、法(真理)ではない』『このようなものは、法(真理)ではなく、このようなものが、法(真理)である』」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「或る沙門や婆羅門たちは、まさに、これら〔の見解〕に執着する。〔不死への〕沈潜(涅槃)という、その〔境地〕を、まさしく、得ずして、まさしく、中途に沈む」と。

 〔以上が〕第五〔の経〕となる。