小部経典

3:ウダーナ

7.10. ウテーナの経(70)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、コーサンビーに住しておられます。ゴーシタの園地において。さて、まさに、その時、ウテーナ王が庭園に赴いたところ、宮殿が焼け落ちてしまい、さらには、サーマーヴァティー〔王妃〕を筆頭とする五百の婦女が命を終えたのです。

 そこで、まさに、大勢の比丘たちは、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、コーサンビーに〔行乞の〕食のために入りました。コーサンビーを〔行乞の〕食のために歩んで、食事のあと、〔行乞の〕施食から戻り、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、それらの比丘たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、ここに、ウテーナ王が庭園に赴いたところ、宮殿が焼け落ち、さらには、サーマーヴァティー〔王妃〕を筆頭とする五百の婦女が命を終えました。尊き方よ、それらの女性在俗信者たちには、どのような〔来世の〕境遇がありますか、どのような未来の運命がありますか」と。

 「比丘たちよ、ここに、女性在俗信者たちは、預流たる者たちとして存在し、一来たる者たちとして存在し、不還たる者たちとして存在します。比丘たちよ、それらの女性在俗信者たちは、〔その〕全てが、無果ならざる者たちとして命を終えました」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「迷妄という結縛ある世〔界〕は、〔やりくりの〕可能な形態(思いどおりに行く存在)であるかのように見える。闇に取り囲まれ、〔心の〕依り所(依存の対象)という結縛ある愚者は、〔世界が〕常恒であるかのように思えてしまうが、〔あるがままに〕見ている者にとって、〔常恒なるものは〕何ものも存在しない」と。

 〔以上が〕第十〔の経〕となる。

 小なるものの章が、第七となる。

 その〔章〕のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「二つのバッディ、および、二つの執着する者、ラクンダカ、渇愛の滅尽、および、虚構の滅尽、カッチャーナ、および、井戸、ウテーナ、〔それらの十がある〕」と。