小部経典

3:ウダーナ

7.8. カッチャーナの経(68)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、尊者マハーカッチャーナが、世尊から遠く離れていないところで、結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、身体の在り方についての気づきが内に全面にしっかりと現起され、坐っていたのです。

 まさに、世尊は、尊者マハーカッチャーナが、遠く離れていないところで、結跏を組んで、身体を真っすぐに立てて、身体の在り方についての気づきが内に全面にしっかりと現起され、坐っているのを見ました。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「彼に、身体の在り方についての気づきが現起され、常に、あらゆる時に存在しているなら、『しかして、〔身体というものは〕存在すべくもなく、かつまた、わたしには〔身体というものが〕存在すべくもなく、〔身体というものは、これからも〕有ることがないであろうし、かつまた、わたしには〔身体というものが、これからも〕有ることはないであろう』〔と〕、彼は、そこにおいて、時々刻々に住する者(いまここの瞬間瞬間に気づきある者)として、まさしく、〔正しい〕時に、執着〔の思い〕を超えるであろう」と。

 〔以上が〕第八〔の経〕となる。