小部経典

3:ウダーナ

7.9. 井戸の経(69)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、マッラ〔国〕で、大勢の比丘の僧団と共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、トゥーナという名のマッラ〔国〕の婆羅門村のあるところに、そこへと至り着きました。まさに、トゥーナ〔村〕の婆羅門たちと家長たちは、「君よ、まさに、釈迦〔族〕の家から出家した、釈迦〔族〕の子、沙門ゴータマが、マッラ〔国〕で、大勢の比丘の僧団と共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、トゥーナに到着した」と耳にしました。〔彼らは〕井戸を、草やら籾殻やらで、縁“ふち”に至るまで満たしました。「奴ら、坊主頭の沙門どもが、水を飲むことがあってはならない」と。

 そこで、まさに、世尊は、道から外れて、木の根元のところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐られました。坐られて、まさに、世尊は、尊者アーナンダに語りかけました。「さあ、アーナンダよ、わたしのために、あなたは、この井戸から、水を持ってきておくれ」と。

 このように言われたとき、尊者アーナンダは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、今やもう、その井戸は、トゥーナ〔村〕の婆羅門たちと家長たちによって、草やら籾殻やらで、縁に至るまで満たされました。『奴ら、坊主頭の沙門どもが、水を飲むことがあってはならない』」と。

 再度また、まさに……略……。三度また、まさに、世尊は、尊者アーナンダに語りかけました。「さあ、アーナンダよ、わたしのために、あなたは、この井戸から、水を持ってきておくれ」と。「尊き方よ、わかりました」と、まさに、尊者アーナンダは、世尊に答えて、鉢を抱えて、その井戸のあるところに、そこへと近づいて行きました。そこで、まさに、その井戸〔の水〕は、尊者アーナンダが近づいて行くと、草やら籾殻やらを、その全てを、縁から吐き出して、清らかで濁りのない澄んだ水でもって、縁に至るまで満たされました。思うに、〔水が常に〕流れ出ている〔状態〕になったのです。

 そこで、まさに、尊者アーナンダは、こう思いました。「ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。如来の、偉大なる神通だ、偉大なる威力だ。なぜなら、〔まさに〕この、その井戸は、わたしが近づいて行くと、草やら籾殻やらを、その全てを、縁から吐き出して、清らかで濁りのない澄んだ水でもって、縁に至るまで満たされたからだ。思うに、〔水が常に〕流れ出ている〔状態〕になったのだ」と。〔尊者アーナンダは〕鉢で水を汲んで、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。如来の、偉大なる神通です、偉大なる威力です。なぜなら、〔まさに〕この、その井戸は、わたしが近づいて行くと、草やら籾殻やらを、その全てを、縁から吐き出して、清らかで濁りのない澄んだ水でもって、縁に至るまで満たされたからです。思うに、〔水が常に〕流れ出ている〔状態〕になったのです。世尊よ、水をお飲みください。善き至達者(善逝)よ、水をお飲みください」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「もし、水が、あらゆる時に存するとしたら、〔わざわざ〕井戸で、何を為すというのだろう。渇愛〔の思い〕を根元から断ち切って〔そののち〕、遍く探し求めることを、何のために〔わざわざ〕行じおこなうというのだろう」と。

 〔以上が〕第九〔の経〕となる。