小部経典

3:ウダーナ

8.10. 第二のダッバの経(80)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。そこで、まさに、世尊は、比丘たちに語りかけました。「比丘たちよ」と。「尊き方よ」と、それらの比丘たちは、世尊に答えました。世尊は、こう言いました。

 「比丘たちよ、マッラの子のダッバですが、宙に舞い上がって、虚空において、空中において、結跏を組んで、火の界域に入定して、〔そののち、火の界域から〕出起して、完全なる涅槃に到達したところ、肉体が燃やされつつ、焼かれつつも、灰が覚知されることもなければ、煤が〔覚知されることも〕ありませんでした。それは、たとえば、また、まさに、あるいは、酥が、あるいは、油が、燃やされつつ、焼かれつつも、灰が覚知されることもなければ、煤が〔覚知されることも〕ないように、まさしく、このように、比丘たちよ、まさに、マッラの子のダッバですが、宙に舞い上がって、虚空において、空中において、結跏を組んで、火の界域に入定して、〔そののち、火の界域から〕出起して、完全なる涅槃に到達したところ、肉体が燃やされつつ、焼かれつつも、灰が覚知されることもなければ、煤が〔覚知されることも〕ありませんでした」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「まさしく、鉄の棒で打たれた燃える火が、徐々に静まったなら、〔その〕赴く所が知られないように――

 このように、欲望の結縛という激流を超え、正しく解脱した者たち、不動の安楽を得た者たちの赴く所は、〔他に〕知らしめようにも、〔もはや〕存在しない」と。

 〔以上が〕第十〔の経〕となる。

 パータリ村の者の章が、第八となる。

 その〔章〕のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「涅槃と説かれた四つのもの、チュンダ、パータリ村の者たち、分かれ道、および、ヴィサーカー、〔二つの〕ダッバと共に、それらの十がある」と。

 ウダーナ(感興の言葉)における諸章のための、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「優れたものたる第一のこの章は、菩提。第二のこの章は、ムチャリンダ。そして、優れたものたる第三の章は、ナンダ。および、優れたものたる第四の章は、メーギヤ。

 優れたものたる第五の章、ということで、ここに、ソーナ。優れたものたる第六の章、ということで、生まれながらの盲者。および、優れたものたる第七の章、ということで、小なるもの。第八の章は、パータリ村の者。

 欠くことなく八十の優れた経ある、見事に区分された、この八つの章は、〔世俗の〕垢を離れた眼“まなこ”ある方によって見示された。まさに、たしかに、それを、〔人々は〕『ウダーナ』と、こう言った」〔と〕。

 ウダーナ聖典は、〔以上で〕終了した。